~ いつまでも若く美しく健康に ~

「日本のため」は「不思議なことに」ではなかった!

(OKINAWA Island,1990s,photograghy by KOJI YOSHIURA)

太陽の奥に見える雲が山のようにも見える。

 

 

 

昨日、ある人と二人で長いこと話してて聞かれたことにハッとした。

 

「よっしーさんの言う『日本のために』というのは一体どこから来るんですか?」

 

そういう想いが一体どこから来るのか今までちゃんと考えたことはなかったけど、

 

自分の目標というか想いを人に話すときには

 

「なんでか不思議なんですけど小学生の頃から日本をよりよくするために、、」といつも言って来た。

 

でも、やっと、今日の朝方、2021年1月16日、夢うつつの布団の中ではっきりと分かりました。

(家紋に続いて、またもや自分のルーツ発見記念日!笑)

 

結論から言うと、どうやら、じいちゃんの口癖が知らぬ間に刷り込まれてたようです。

 

僕が小学生の時、父と母は帰りが遅くて、いつも夕食はじいちゃんとばあちゃんと3人か、もしくはばあちゃんと2人で食べてたんだけど、じいちゃんはテレビのニュースを見ながらいつも「日本のためにならん!日本をよりよくしないと!」というような意味のことをぶつぶつ言ってるような人だった。

じいちゃんの言葉はそれしか覚えてない。

(それに対してばあちゃんは仏様のような優しいとても穏やかな人だった)

 

なんでそれしか覚えてないかと言うと、一緒に住んでたにも関わらず、僕はじいちゃんから可愛がられた記憶は全くなく、僕に対して言葉を発することはまずなかったので、じいちゃんのことは嫌いでもなかったけど好きでもなかった。

じいちゃんに対する感情は子供ながらに複雑なものがあったのかもしれない。

 

ところが、今になってそんなじいちゃんの言葉の刷り込みにあってたことに気付くとは、なんてことだ!笑

 

もちろんそれ以外にも、母からは佐賀の七賢人の話をよく聞かされていたから、そんな先人たちの志を想うところが子供心に芽生えたのだといままで思っていたけど、潜在意識的には毎日のように聞いてたじいちゃんの言葉の影響のほうが、実は大きかったのかもしれない。

と、気づいた今日この頃です。

 

 

【追伸】

僕に対しては愛情のカケラも見せなかったじいちゃんですが、地域の人に見せてた顔は全然違うものだったらしいです笑
まあ、いろんな事情があるんだろうね。

そんなわけで、小さい頃はじいちゃんのことが好きではなかったけど、長男だったにもかかわらず、周囲の反対を押し切って名尾和紙で有名な山の中から平地に降りてきてくれたじいちゃんのおかげで、今の生活がある。

農家として米を作り、菊や蘭を作り、犬やヤギやキジを飼い、株や投資信託を買い、90歳を越えてもバイクに乗ってブイブイ言わせてたじいちゃんのことを今では尊敬するし、誇りに思います。

当時、このあたりではまあまあ型破りなじいちゃんだったかもしれません笑

 

じいちゃん、ありがとう!